また勝手に枢木とルルーシュについて考えてみた続きから。
妄想の垂れ流しがさすがに恥ずかしかったので隠しておきます。相変わらず的外れで好き勝手。
最近のスザクを見ているといつどんな弾みでスザクがルルーシュを傷つけるか解らなくてひやひやします。スザクがルルーシュに対して優しい声で接すれば接するほどそれが壊れたときの恐怖を感じる。可愛さ余って憎さ百倍とか笑えないぜ正直。
そもそもスザクがルルーシュに対して優しく親友として接するのは決定的に自分を否定せず受け入れてくれているからで、もしそのバランスが崩れたらスザクはルルーシュのように追ってはこないんだろうなと思う。ルルはスザクとの道が決定的にたがえてるのを知ってもどうにか自分が救って一緒の道を歩みたいと考えるけどスザクは自分を受け入れない世界は要らないから足掻かない。…考えれば考えるほど酷い男だな。
結局スザクはルルーシュじゃなくてもいいわけですよ。自分を認めてさえくれてればユフィだって藤堂さんだってそれこそブリタニア皇帝だってかまわない。
ルルーシュはスザクじゃなきゃ駄目らしいけどスザクはそうじゃないっていう温度差が何より痛い。なんかもうスザルルはお互いに一杯一杯で既に健全なお付き合いじゃないですね。スザクはルルーシュの知らなかったという優しさと、知っても問い詰めないという受け入れ方に甘えてるのかな。綺麗なところばかり見せたがる枢木が、なりふり構わずとかそういう状況になることがこの先あるんだろうか…。もういっそ開き直れば良いのに。「父親殺したけど何か?」とか言ってくれたほうがよっぽど突付きやすい。
スザクとルルーシュの温度差は、ルルーシュが人を生きる理由にしているのに対してスザクが正義を生きる理由にしてるところにある?ルルーシュはナナリーが生きる理由であるように代わりがない絶対唯一を持っていてそれを拠り所に生きてるのに対してスザクは正義っていう不確かな、ある意味では代用可能なものを拠り所にしている。ルルーシュやコーネリアのように自分の生きる理由を他人においてる人には情の尻尾がずるずるあるけど、スザクのように思想に生きる理由を置いてる人は未練がないから情の尻尾が欠片もない。ちょっとあっても、一番大事なものは他にあるからすっぱり切り捨てられる。
なによりスザクは他人を生きる理由じゃなくて死ぬための理由にしようとして生きてるんだもんな…。そりゃ死んで償うとかそういうことをよしとしないゼロ様とは相成れないはずだよ…。
日本には「死に様」という言葉あるけどスザクはそれにぴったりだなと思います。もしや枢木は武士のように潔く逝きたいのだろうか…。スザクは基本的に自分が死んで泣く人のこととか考えなさそうですね。ルルーシュはナナリーのことを考えて自分が死ぬっていうのを最後の最後まで選ばないけどスザクはむしろ喜んで一番最初に死にに行くだろうな。お前には大切なものが無いのかと…。
もうとっととルル様はスザクと既成事実(誤解を招く表現)をつくってしまえばいいんじゃないですか。しかしゼロ様として言葉攻めするのではなくルルとして責めて責めて「お前まで俺たちを置いて死ぬつもりか!」とか泣き縋ったら枢木の目も醒めるんじゃないか。それで三人手を取り合って幸せになればいいんじゃないかな。もう、ブリタニアぶっ壊すとかいいじゃない…。三人一緒に居ればそこが優しい世界だよ…。
ルルーシュがあんなに必死にスザクを追うのは深入りしちゃった友達だからかなと考えました。親友が死にたがりっていったら普通止める。これで同じようにルルーシュの深いところ(ゼロ=ルル)を知ったスザクがルルーシュをゼロとして憎むんじゃなく純粋に友達として「止めなくちゃ!」と思ってくれればスザルルとして満足です。スザクはナナリーと一緒にルルーシュの一番近くに居たんだから痛みも悲しみも理解したうえで止めてくれると信じたい。枢木…。